我々は敗戦以来アメリカという為政者の統治の元に甘んじて今日にまで及んだ――石原慎太郎さん
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『新・堕落論―我欲と天罰』
【 石原慎太郎、新潮社 (2011/07)、p20 】
贅沢に慣れきった日本の社会を今覆っている静かなる混乱と退廃を眺めると、私は昔愛唱した、かつての5・15クーデタ事件の首謀者の一人、海軍将校だった三上卓の作った『昭和維新の歌』の文句を思い出してしまいます。
権門、上に傲れども、国を憂うる誠なし。
財閥、富を誇れども、社稷を思う心なし。
ああ、人栄え国亡ぶ、盲(めしい)たる民世に踊る。
治乱興亡、夢に似て、世は一局の碁なりけり。
まさにこの国の今の世の中の有様そのものではないでしょうか。
私のような年代のものが振り返ってみれば、戦前から戦中、戦後そして今日と、ジェットコースターに乗せられてきたような思いです。
最近私は『文藝春秋』(2010年7月号)に載った藤原正彦氏の日本国民に訴える痛恨の論文(「一学究の救国論 日本国民に告ぐ」)を、それを読んだ息子の一人が強い感慨で語るのを聞いて遅ればせに目にしましたが、期待に反しました。というのは藤原氏の痛憤はすべて私たちの年齢の識者の知るところであって、例えば今は亡き江藤淳の、戦後の日本の統治者だったアメリカの日本の言論に関する強力な弾圧と統制への重要な告発『閉ざされた言語空間』はこの国の心ある者たちにとっては周知のことながら、国民全体の関心事たりえませんでした。
この問題に関しては私には苦い経験があります。かつて『「NO」と言える日本』なる著書の英訳版を、日本版では共著者だったソニーの盛田昭夫氏がアメリカでの営業への影響を恐れて辞退してしまい、結局私がその分を補填し単独著者として発表し、著者が日本の現職の政治家であるということで評判となり結果50万部を越すベストセラーともなりました。アメリカ議会はこれに業を煮やし、急遽誤訳だらけの翻訳を議会に提出させ、私には何の連絡もせずにこれを重要文書として登録しました。
私はこれに抗議し、日本人の書き物の版権とその正確な主旨を守るためにせめて正確な翻訳を登録させようとして、私自身会員でもあった日本ペンクラブに協力を求めたが理事会はなぜか尻込みして、それはあなた個人の問題なのだから我々は関与出来ないと拒絶されたものでした。
その時クラブに同道していった阿久津幸彦秘書はアメリカ留学の経験もあり後に議員となって今は菅内閣の内閣府大臣政務官を務めていますが、帰路彼が、「日本ペンクラブなるものは一体何のために、何をするつもりでいるのでしょうかね。今日の体たらくを見て、僕はショックを受けました」と慨嘆していたのを今でも覚えています。どちらかといえば反体制的な存在の日本ペンクラブまでが、あの頃からそんな体たらくだったのはある意味で象徴的な事態だと思います。
ということは、今改めて思い返してみればみるほど、我々はあの敗戦以来アメリカという為政者の統治の元に甘んじて、ではなしに実に疑う事なく、安んじて今日にまで及んでいるのです。
【 これらの記事を発想の起点にしてメルマガを発行しています 】
『新・堕落論―我欲と天罰』
【 石原慎太郎、新潮社 (2011/07)、p20 】
贅沢に慣れきった日本の社会を今覆っている静かなる混乱と退廃を眺めると、私は昔愛唱した、かつての5・15クーデタ事件の首謀者の一人、海軍将校だった三上卓の作った『昭和維新の歌』の文句を思い出してしまいます。
権門、上に傲れども、国を憂うる誠なし。
財閥、富を誇れども、社稷を思う心なし。
ああ、人栄え国亡ぶ、盲(めしい)たる民世に踊る。
治乱興亡、夢に似て、世は一局の碁なりけり。
まさにこの国の今の世の中の有様そのものではないでしょうか。
私のような年代のものが振り返ってみれば、戦前から戦中、戦後そして今日と、ジェットコースターに乗せられてきたような思いです。
最近私は『文藝春秋』(2010年7月号)に載った藤原正彦氏の日本国民に訴える痛恨の論文(「一学究の救国論 日本国民に告ぐ」)を、それを読んだ息子の一人が強い感慨で語るのを聞いて遅ればせに目にしましたが、期待に反しました。というのは藤原氏の痛憤はすべて私たちの年齢の識者の知るところであって、例えば今は亡き江藤淳の、戦後の日本の統治者だったアメリカの日本の言論に関する強力な弾圧と統制への重要な告発『閉ざされた言語空間』はこの国の心ある者たちにとっては周知のことながら、国民全体の関心事たりえませんでした。
この問題に関しては私には苦い経験があります。かつて『「NO」と言える日本』なる著書の英訳版を、日本版では共著者だったソニーの盛田昭夫氏がアメリカでの営業への影響を恐れて辞退してしまい、結局私がその分を補填し単独著者として発表し、著者が日本の現職の政治家であるということで評判となり結果50万部を越すベストセラーともなりました。アメリカ議会はこれに業を煮やし、急遽誤訳だらけの翻訳を議会に提出させ、私には何の連絡もせずにこれを重要文書として登録しました。
私はこれに抗議し、日本人の書き物の版権とその正確な主旨を守るためにせめて正確な翻訳を登録させようとして、私自身会員でもあった日本ペンクラブに協力を求めたが理事会はなぜか尻込みして、それはあなた個人の問題なのだから我々は関与出来ないと拒絶されたものでした。
その時クラブに同道していった阿久津幸彦秘書はアメリカ留学の経験もあり後に議員となって今は菅内閣の内閣府大臣政務官を務めていますが、帰路彼が、「日本ペンクラブなるものは一体何のために、何をするつもりでいるのでしょうかね。今日の体たらくを見て、僕はショックを受けました」と慨嘆していたのを今でも覚えています。どちらかといえば反体制的な存在の日本ペンクラブまでが、あの頃からそんな体たらくだったのはある意味で象徴的な事態だと思います。
ということは、今改めて思い返してみればみるほど、我々はあの敗戦以来アメリカという為政者の統治の元に甘んじて、ではなしに実に疑う事なく、安んじて今日にまで及んでいるのです。
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