2025-05-01から1ヶ月間の記事一覧
串岡さんは1973年、運輸水増しなどの闇カルテルをやめるよう会社幹部に直訴。無視されたため74年7月、新聞社に情報提供した後、公正取引委員会にも告発しました。1975年、営業の現場から教育研修所への突然の異動。わずか3畳の小部屋に「隔離」…
難有りは、ありがとうに繋(つな)がっている。ここに来る子供たちは、人生に難を抱え、恨(うら)みや欲望を抱え、罪を犯した。この学校で、正反対の心になり、感謝の気持ちを持った人間になってほしい。人生の最後に、ありがとうと伝えられる人になってほ…
99年5月。プライベート版『景子ちゃん ありがとう』を読まれた方の感想を、知人より伺いました。「鈴木さんの子供は、天国にいく運命の子供だったけれども、鈴木さんは幸せですね……」と言われたそうです。私は、「子供を亡くした親が、どうして幸せなのか…
(2006年)2月8日、前の会社の上司だったS氏より、突然のメールが入る。S氏はいま、韓国のエンジニアリング会社の社長をしている。
中国・黄土高原の緑化に協力する鳥取大学乾燥地研究センターの山中典和・助教授は砂漠化の危険をこう強調する。小雨が降っただけで延安市内の川が濁流となり、洪水となったことを目撃したのだ。緑がなくなる砂漠化が進行すると土壌の保水力が著しく低下する…
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
数学といいうのは山の頂にある美しい花を取りに行くようなものなんです。とぼとぼ登っていくと、右に行こうか、左に行こうか迷うところに来ます。先人の足跡もないので、自分で道を切り開かなければなりません。道というのは論理のことです。道は自分より下…
興味深いデータがあります。経営者漁火(いさりび)会が発行する『漁火新聞』256号で明星大学教授の高橋史朗氏が、男女共同参画政策に関する「不都合な真実」を、国内外の研究調査に基づいて報告しています。これを読むと、男女共同参画政策、クオータ制の本質…
「何でもあり」の政界を長く眺めていると、大抵のことには驚かなくなるが、今回の事件には衝撃を受けた。来年度採択の中学校の教科書検定をめぐり、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)が推進する教科書(自由社)が不合格になった件である。
「本来であれば情報の流通を担うだけのSNSが、独自の検閲を行うなど言語道断のはずが、いまやどんな情報が流れるのがふさわしいのか、SNSが先回りして選別しなげればならない世の中になりつつあります」???。「言論の自由」を守らなければならぬ言論人が…
中国共産党政権が民主化を求める大学生らを武力弾圧し、多数の死傷者を出した1989年6月4日の天安門事件の当日に、日本政府が「長期的、大局的観点から得策でない」との理由から、欧米諸国との対中共同制裁に反対する方針を明記した文書を作っていた。
ガバナンスでいえば、前述したように各企業内に中国共産党支部が存在していて、役員会よりも高い地位にあるわけです。結局、役員会よりも上位の組織があるわけだから、それは民間企業とはいえない。そのような関係は、西側では普通、政府に支配されている会…
こうした戦力の逐次投入というのは、以前の戦争でも経験しましたが、負けパターンにつながるのですよ。だから前述したように、このような戦時体制時には、重要な決定に財務大臣を入れてはいけないわけです。
1941年12月8日、山本五十六が率いる帝国海軍連合艦隊は真珠湾を攻撃しました。事前に敵に察知された場合は非常に危険な作戦なので軍令部は反対でしたが、それを押し切って山本の主張が通りました。奇襲そのものは成功し、アメリカ軍の艦艇や航空機に…
ああ、朝日新聞はやはり全く反省していなかったのだなと、改めて分かった。米カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバート氏らが立ち上げた「朝日新聞英語版の『慰安婦』印象操作中止を求める有志の会」が朝日電子版の英語版記事の修正を申し入れたのに対し…
昭和47(1972)年、田中角栄はそれまでの友好国の台湾(中華民国)を切り捨て、大陸(中華人民共和国)と結びました。その時の日中共同声明は、前文と本文9項目からなりますが、前文に「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な…
現在でも、反日派の欧米人の中には、日本を信用ならない国と非難したい時には、好例として真珠湾をもちだす人がいる。真珠湾事件により、日本は卑怯者(ひきょうもの)の汚名をきせられた。その上、歴史をさかのぼって、その当時は問題にもされなかった日清戦…
ここに『日本科学技術史大系』全25巻別巻1冊(昭和39年3月~47年2月・第一法規出版)という叢書があります。これは論説や史的研究ではなく、それぞれの時代における原資料を忠実に復刻した資料集です。この『体系』の出版は戦後ですけれども、資料そのも…
12月8日は子供心に印象深い。日本が米英と西太平洋で交戦状態にはいったその日から戦争は「大東亜戦争」と呼ばれ、敗戦後は「太平洋戦争」となった。アメリカ側で the Pacific War とか War in the Pacific と呼ぶからだが、「大東亜戦争」といわせておく…
戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後はアカデミズムに戻って、しかも大学の世界では位人臣(くらいじんしん)をきわめました。日本が負けたおかげです。日本の敗戦がなければ大学を追われたままでした。彼らが戦前を悪く言い、東京裁判およ…
冷戦構造が解体した1990年頃から、緊張のゆるみとともに、世界には巨大事件が相次いだ。ドイツ統一、ソ連消滅、湾岸戦争、ユーゴの内乱――いずれも主舞台は東アジアからははるか遠くへだたっていた。冷戦構造の解体は、日本の場合には、国内に二つの異常…
「七生報国」というのは、七たび生まれ変わってくるというわけだが、戦後30年の間に三回よみがえってきている。その不思議な生まれ変わりの思想が、南北朝の時代に生じたことは見逃すわけにはいかない。というのは、この時代ほど勤皇(きんのう)思想が意識…
頼朝は、必要とあれば断乎として改革をやる決断力も持っていたが、宮廷に対しては、つねに恭順な態度であり、つとめて衝突を避けた。文治(ぶんじ)元年(1185)の守護・地頭の設置は、実質上の武家支配でありながら、古代の律令はそのままにして、公家を…
いざ斬り込んでみると、義元の周囲には5百騎くらいしかいなかった。義元は馬ではなく輿(こし)に乗って引き揚げようとしていた。今川軍の中で実際に戦えるのは2百騎くらいだったから、戦力は逆に十対一となった。信長はみごと義元を討ち取った。
応仁の乱によって、将軍の権威が衰えただけでなく、一向宗徒が加賀一国を支配して“宗教国”が生まれたり、守護大名の実権を家臣が奪ったりするような現象が起きた。身分の低い者が実力で上の者を倒す風潮は「下克上」と呼ばれ、小田原の北条早雲、美濃の斎藤…
義政は一種の天才であった。自ら茶をたて、四畳半の茶室の始まりとされる書院「同仁斎(どうじんさい)」を東山殿東求堂(とうぐどう)のなかにつくった。お茶の師匠は「わび茶」の創始者である大徳寺の村田珠光(しゅこう)とも言われる。日本の「茶の湯」は鎌倉…
旧来の伝統的な物の考え方から抜けだし、清新な勘を縦横に働かせて、来るべき時代の運行法則を予測しえた者が世に現われる。変革期とは旧弊観と先見力との戦いである。両者の乖離(かいり)と落差は決定的に大きい。程度の違いではなく質的に相反する対照であ…
先に挙げたワシントンもまた、アメリカ合衆国の宝物として鏡のごとく清らかな生き方の手本を遺している。誠実で清純無垢な気高さにあふれた人格は、死後も変わることなく手本として人びとの胸に生き続けている。しかもワシントンの場合、他の偉大な指導者に…
吸いがらや紙コップを投げ捨てたことはないだろうか。赤の他人ににらみつけられると、そういう下品な行為をしてしまったという自責の念に襲われたりする。やってしまったことに自責の念を覚える代わりに、二度と反社会的な行為はすまいと、簡単に心に決める…
自分の能力を一時(いちどき)にすべて使うのはまずいことだとでも思っているらしい人が大勢いる。力は一大事の時に備えてたくわえておかねばならないというわけだ――ちょうど馬を、ふだんはゆっくりと注意深く走らせるが、火急の際は拍車をかけるのと同じよう…