どんな遺産も正直にまさる富はない
( シェークスピア )
No legacy is so rich as honesty.
( William Shakespeare )
◆学問も富も誠実さにはかなわない
『向上心』
( サミュエル・スマイルズ、三笠書房 (2011/5/21)、p37 )
知的教養は、人格の純粋さや立派さなどには必ずしも関係がない。新約聖書には、人の心と「魂」への呼びかけが至るところに見られる。しかし、知性に訴えかけることはきわめてまれである。
「ほんのひと握りの信仰心は、山ほどの学問に匹敵する」とジョージ・ハーバートは言っている。
学問を軽蔑しているのではない。どんなに学問があっても、道徳的な善と両立しなければ意味がないと言っているのである。地位がある者の場合には学問の奴隷になり下がり、地位がない者の場合には尊大な態度をとるといったように、知性が道徳的にもっとも下劣な人格と結びついている例を、時折見かけるものだ。
美術、文学、科学などの分野で成功をおさめていても、誠実さ、美徳、義務感、正直さという点では、貧しく無学な農民にも劣る人間はいくらでもいる。
ウォルター・スコットが出席していた講演会の席上で、ある人が「文学的才能と業績の二つだけが何よりも評価され賞賛されるべきである」という趣旨の意見を述べた。するとスコットは次のように反論した。
「とんでもないことを! もしも今の考え方が真理だとしたら、この世はなんと貧しいものになってしまうことか! 私は本はたくさん読んだし、現代の有名な教養人の説も拝聴したし、彼らと話し合ったこともある。でも、私はあなたに次のことをはっきりと知っておいていただきたい。私は、聖書に出てくるどんな言葉よりももっと心打たれる声を、学問のない貧しい人の口から聞くことができたのだ。苦しみと葛藤に打ちひしがれながらも、静かな勇気にあふれた魂が顔をのぞかせる時、身のまわりにいる大勢の友人や隣人について素朴な意見を述べる時、その言葉のはしばしに感銘を受けるのだ。心を豊かに育てることに比べれば、他はみなとるにたりないと自覚しなければならない」
富は、人格を高めるためにはなおさら必要ではない。それどころか、かえって人格を歪め、堕落を招く原因になることが多い。
富と堕落、贅沢と悪徳、これらはお互いに密接な関係にある。目的意識の弱い人間、充分な自制心をもたない人間、感情のままに行動する人間が富を手にすると、それは誘惑のわなにすぎなくなってしまう。すなわち、自分にとっても他人に対しても、はかり知れない悪影響を及ぼす原因になる恐れがあるのだ。
人格は財産である。しかもいちばん高尚なものだ。普遍的な善意と、人びとの尊敬に囲まれた自分だけの所有地である。これに投資しようとする人は、いわゆる利益は上げられないかもしれないが、尊敬という報酬は正当な手段でまちがいなく受けとることができるだろう。
世の中の人にもっとも効果的に働きかける点で、勤勉さ、善良さ、美徳などのすぐれた資質をもつ人物が誰にもまさるのは当然のことである。