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「アメリカよ、美しく年をとれ」 猿谷 要、岩波新書、p146
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人間は長生きするようにはなったけれど、世紀の変わり目に出会うというのはうれしいもので、なにやら期待の混じった緊張感を覚えるものだ。私もまた一人の歴史家として、20世紀の終わりを迎えた。
歴史の変化は厳しいもので、しかも激しさはますますスピードを増している。はたして21世紀はどんな世界になるのか、見通すことはほとんど不可能である。
そこで多少の手がかりとなるのは、1世紀前に人びとはどのような世紀末に出会い、そしてどのような新世紀を迎えようとしていたのか、いま振り返ってみることではないだろうか。
確かにアメリカはそのとき、大きな変動のさなかにあった。西部の征服がほぼ終わってフロンティアと呼んでいた土地がなくなり、人びとの目は海外に向かおうとしていた。ちょうどヨーロッパ列強のアジアやアフリカに対する植民地獲得競争がクライマックスに達していた。
アメリカはヨーロッパ列強とならんで、躊躇することなく帝国主義への道を歩んだのだろうか。国内にはなんの抵抗もなかったのだろうか。
これらの問いに対して、1898年の米西戦争前後の情勢は一考に値するだろうと思う。
1898年までにアメリカは、王朝を倒して成立したハワイ共和国をはじめ、ミッドウェー、ウェイクなど太平洋上の諸島を手に入れ、米西戦争の勝利によってスペインにキューバを放棄させ、プエルト・リコをアメリカに割譲させることにしていた。
問題はアメリカ海軍が占領したスペイン領フィリピンをめぐって起った。アメリカが海外植民地としてフィリピンを領有すべきかどうかについて、国論を二分する大きな論争が起ったのである。
それまで海軍次官だったシオドア・ローズヴェルトは、キューバで荒馬乗り連隊(ラフ・ライダーズ)を指揮して参戦し、全米にその勇名を馳せていたが、1899年にフィリピンの領有を当然とする主張をして次のように述べている。
「もし、われわれが真に偉大な国民であろうとするなら、われわれは世界において偉大な役割を果たすよう誠実に努力しなければならない。……われわれは、ハワイで、キューバで、プエルト・リコで、またフィリピンで直面している責任を回避することができないのだ」
これはアーネスト・R・メイが編集した『アメリカの外交政策』(邦訳『アメリカの外交』)の一部である。
ローズヴェルトはフィリピンの領有について、さらに論をすすめている。
「フィリピン人の多くは自治に全く適さず、将来の自治に適するようになるなんの徴候もない。また、島民の中には時節を待てば自治に適するようになるかもしれないと思われる人びとがいるが、現在のところは、賢明で確固として恩情に満ちた監督下における自治に参加できるに止まると思われる。
われわれはこれらの島からスペインの専制政治追い出した。そして、その専制政治に代えるに野蛮な無政府状態をもってするに止まるなら、われわれのやったことは善ではなく悪をもたらしたにすぎないことになる」
この最後の部分は、なんとイラクに攻め入ったブッシュ大統領の軍隊を思わせることだろうか。
アメリカから遠く離れたフィリピンを植民地として持つことに対しては、もちろんかなりの反対が集中した。
とくに民主党の指導者ウィリアム・ブライアンは、領有から2年たった1900年8月、民主党の全国大会で大統領選挙の候補者となり、その受諾演説で次のようにのべている。
「わが国をして帝国建設への道を歩ませようとする人びとは、帝国主義がフィリピン人に与える影響に止まらず、わが国自身に与える影響をも深く考慮しなければならない。われわれがフィリピンにおいて自治の原則を否認すれば、必ずやわが国おいても自治の原則を弱めるに違いないのである」
ブライアンは、結局、外交政策が国内の政治や社会の延長上にあることを鋭く指摘したのだった。
「もしわれわれが帝国主義を取るとするなら、当然にまた必然的に、大常備軍をそなえなければならない。フィリピン諸島の強制併合を正当とする精神は、他の島の奪取や他の国民の支配をも正当化することになり、また征服のための諸戦争を伴うことになり、こうして急速ではないにしても確実にわが軍事組織の強大化をもたらすにいたるであろう」
この演説のなかにも、現在のアメリカの情勢に通じるものがあることを発見するのは、それほど難しくはないだろうと思う。
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