仏様の指 《 01.02 『おかしな仕事』への道 》
この手紙をしたためているのは、再度いろいろな出版社に貴下のアイデアを売り込むようすすめるためです。もうすでにそうなさっていくらかでも収入をあげ、楽しく仕事をしておられるのなら、何もいうことはありません。この仕事では、なかなか世間の激励は得られません。だから、私は貴下にあきらめずに描き続けるよう声援を送っているのです。
『こころのチキンスープ 7』https://tinyurl.com/3sb9vekk
( ジャック・キャンフィールド他、ダイヤモンド社、p49 )
人間は、人生の旅でたがいを助け合うべく生きている。
ウィリアム・J・ベネット
1986年の1月、テレビのチャンネルを回しているうち、漫画をテーマにした番組『おかしな仕事』が目にとまった。
私は昔から漫画家に憧れていたので、この番組の司会者で漫画家のジャック・キャシディに手紙を書いた。どうしたら漫画家になれるのか、教えてもらいたかったからだ。
2、3週間後、ジャックから手書きの好意的な返事がきた。勉強のための教材や踏むべき手順など、私の具体的な質問に全部答えてくれている。そのうえで、最初はなかなか採用されないだろうが、決してあきらめないようにと励ましてくれた。それに、私が送った漫画のサンプルもほめてくれた。
私はとてもうれしくなった。漫画家への道のりがどういうものか、ようやくわかった気がした。いちばん出来がいいと思える作品を、『プレイボーイ』と『ニューヨーカー』に送った。だが、二誌とも決まり切った手紙をつけて断ってきた。がっくりした私は、それまで描きためたものを戸棚にしまいこみ、漫画家になる夢はあきらめた。
1987年6月。思いがけないことに、ジャック・キャシディから二通目の手紙がきた。私は驚いた。あの手紙に対するお礼状さえ出していなかったからである。手紙にはこう書いてあった。
スコット殿
拝啓
『おかしな仕事』の郵便物ファイルを繰っているうちに、貴下の手紙と漫画のコピーが出てきました。あのとき、たしか返事をさしあげたように記憶しています。
この手紙をしたためているのは、再度いろいろな出版社に貴下のアイデアを売り込むようすすめるためです。もうすでにそうなさっていくらかでも収入をあげ、楽しく仕事をしておられるのなら、何もいうことはありません。
この仕事では、なかなか世間の激励は得られません。だから、私は貴下にあきらめずに描き続けるよう声援を送っているのです。
貴下が幸運にめぐまれ、いい絵を描き続けられるよう祈ります。
敬具
ジャック
私は、この手紙に深く感動した。こんなに私に親切にしても、彼には何の得もないのだ。せいぜい私に礼を言われるくらいが関の山なのに、こんなに親切にしてくれる。
この激励に力を得て、私は描きためたものを棚からひっぱりだし、出版社に送った。これが結果的には、あの『ディルバート』という漫画になった。いまでは700紙の新聞を飾り、本も6巻を数えている。
ジャックがあの二通目の手紙を書いてくれなかったら、私は決して漫画に再び挑戦しようとは思わなかっただろう。彼の親切なひと言と一通分の切手代が、すべての始まりとなったのである。『ディルバート』がさらに売れるようになるにつれ、私はますますジャックの単純な親切の重みを痛感するようになった。結局、彼にお礼を言うことができたが、いまだに言葉では言い表せない贈り物を与えられたという思いが強い。感謝しているというだけでは十分ではない。
長年仕事をしてきて、近頃しみじみ思う。贈り物のなかには相手にお返しをするのでなく、ほかに手渡していくべきものもあるのだと。親切なひと言で人がどれだけ救われるか、私たちはみんなわかっているではないか。だからどんどんやってあげなさいと私は言いたい。最大の効果をあげようと思うなら、ぜひ手紙にして書きなさい。それも、激励したところであなたにとっては何の得にならないとわかっている人に対して。
家族や友人たちを励ますのは、むろん大事なことだ。だが、彼らの幸せとあなたの幸せは直結している。世の中に広く効果をあげようとするなら、あなたの好意に対してお返しができない人を激励することをおすすめする。あなたの好意は、純粋な好意として受け手の心に残るからである。
そして、もうひとつ。世のなかには、「小さな親切」などというものは存在しない。どんな親切も、思いがけないほどの余波を生み出すからである。
スコット・アダムス(『ディルバート』の作者)
アンドリュー・シャリット寄稿
仏様の指 《 01.01 人生の偶然 》
01.01 人生の偶然
私が書きたいのはその時のグレアム・グリーン氏との楽しかった会話ではない。ふしぎなこの偶然についてである。私が彼の小説の背景を歩きまわった日々の最後に、小説の作者と同じエレベーターに乗り、彼と酒を飲んだ偶然の結末である。しかし、この結末を偶然と断定していいのか。何か別のひそかな論理がそこに働いたのか。私は人生で同じような、ふしぎな偶然にたびたび出会っているので、その解明をしてみたいのである。
『万華鏡』
( 遠藤周作、朝日新聞社 (1996/03)、p178 )
ふしぎなことは、私の好奇心をそそる。他の人から見れば偶然と片づけられることも、私はなぜか、と首をひねる。
次の話は既にある文芸雑誌に書いたことだが、多くの読者を持つ「万華鏡」で語ってみたい。
どこかに私は旅をする時、その土地を描写した本を持っていく。たとえばこの春、ほんの三、四日、花見がてら京の嵯峨野で泊まったが、その時、鞄(かばん)に放りこんだのは六如という江戸時代の坊さまで漢詩人の詩集だった。彼が嵯峨に庵室(あんしつ)をかまえ、二つの風景を詩にしたと人から教えられたからである。
四、五年前に野暮用でロンドンに出かけたことがある。その時も愛読している小説の中からグレアム・グリーンの『情事の終り』を持参した。いうまでもなくこの作家は、映画『第三の男』の原作者として、日本でも名の知られている世界的大作家である。
お読みになった方は御存知だろうが、この作品は戦争中のロンドンを背景にした一人の小説家と人妻との悲劇的な恋愛の話で彼の作品群のなかではあまり評判の良くなかったものだが、私個人は小説技術的には非常に熟達したものだと考えている。
だから私は毎夜、頁(ページ)をめくりながらロンドンの地図を拡(ひろ)げ、彼や彼女が歩いた大通りや、二人の情事を行ったホテルのある場所、恋人への思いをたち切ろうとする人妻がたち寄った教会など――小説に出てくる場所に赤い丸をつけた。
そして翌日、そこを訪れては、
(ははあ、ここは、こういううまい描き方をしている)
とか、
(俺なら、もっと別の設定をするがなあ)
と、生意気にも、この大作家と競いあう気持ちになったり、その描写の巧みさに舌をまいたりしたのだった。
そうやって、数日の滞在中、その細部まで暗記するほど『情事の終り』をくりかえし読み、ミーハーのような気持ちでその舞台を丹念に歩きまわった。
明日、ロンドンを引きあげようか、と考えた日の夕暮れ、私は盛り場のピカデリー・サーカスから自分のホテルまで歩いて戻ってきた。ピカデリー・サーカスに出かけたのも、そこの一角で主人公の小説家が公衆電話を使う場面があったので、その電話の存在を確認しておきたかったからだ。(断わっておくが、こんな馬鹿馬鹿しい行動は私の小説技術の勉強には役だたない。生まれつきの好奇心からにすぎぬ)
ホテルに入って、すぐエレベーターに飛びこんだ。エレベーターのなかに一人の老紳士がいて、親切にも「何階ですか」とたずねてくれた。そして私の代わりにボタンを押してくれた。礼を言って自分の階でおり、部屋に入った途端、落雷にうたれたようにアッと思った。
今の紳士の顔、見おぼえがある。あれは写真で見たグレアム・グリーンの顔だ。
受話器に飛びつくようにフロントに電話をかけた。フロントの人は、
「たしかにお泊りになっておられますが……御部屋番号をお教えできません」
では……私の名をグリーン氏にお伝えください」
私がそんな勇敢なことを口に出せたのはそれより四年前のある日、私は突然思いもかけず、グレアム・グリーンからきた手紙を毎日の郵便物の中に発見したからだ。彼は偶然、英訳になった私の小説を読み、その感想をわざわざ書き送ってくれたのである。
五、六分たって予期したように部屋の電話のベルがなった。グリーン氏の少ししゃがれた声で、今からホテルの酒場で飲もうという誘いだった。
私が書きたいのはその時のグリーン氏との楽しかった会話ではない。ふしぎなこの偶然についてである。私が彼の小説の背景を歩きまわった日々の最後に、小説の作者と同じエレベーターに乗り、彼と酒を飲んだ偶然の結末である。
しかし、この結末を偶然と断定していいのか。何か別のひそかな論理がそこに働いたのか。私は人生で同じような、ふしぎな偶然にたびたび出会っているので、その解明をしてみたいのである。